私は運転はわりと好きだし、ドライブにはよく行きます。しかしカリカリとばしたり、長距離ドライブに凝ったりといったカーマニアタイプではありません。運転も楽ならいいということで割と早くからATを使ってました。
実家は、印刷会社を経営していて、今は私が社長ですが、比較的めぐまれた環境ではありました。私は1956年生まれですが、生まれたときには社有車があり、初のおでかけもこの車だったそうです。車種はオペルでした。当時はお客さんの送迎に自動車を使うというのは最大の接待でもあったようで、高級車をよく使っていたのを覚えています。このオペルは事故で大破したとかで、その後はセドリックを使ってました。
私が自動車の免許を取得したのは大学に入学してすぐ1976年でした。それこそ免許の取得を待ちかねていました。高校時代には原付の免許を持っていて、自動二輪をとるつもりでしたが、原付で事故してしまい、免許取得は4輪までお預けになったのでした。最初は日産サニーの高年式の中古車で運転をはじめ、やがて、サニークーペの新車に乗るようになります。まだ学生が自動車を持つのは珍しい頃で、自動車で普通に通学できました。教員用の駐車場に停めたり、キャンパス内に停めたりしてもまだおとがめなしでした。さすがに卒業するころには学生が車でキャンパス内に乗り入れることは禁止されました。この車で友人たちと北海道旅行に行ったのも思い出です。
その後、東京で就職するのですが、新入社員の安月給の身の上ではとても車など持てず、悶々とした日をすごします。このころミニカーの収集に走ったのは、その心理的な埋め合わせでしたでしょうか。まあその後、色々あって、1985年実家の印刷会社を継ぐことになり、京都に戻りました。京都は大都市ですが、東京のように公共交通機関が発達していないので車なしではいられない。そこで、東京時代の不満をはらすように、手に入れたのが、中古のトヨタセリカXX。なんといってもスタイリングに惚れ込んでいました。これは私的には初のAT車でした。このセリカで田舎道をゆっくりドライブするのが、楽しみでした。ときどきフェアレディZに煽られたりもしましたが、相手にしなかったというか、なれなかったというか。
ただ、当時、このセリカXXは荷物もつめるので、営業用にも使っていたのですが、さすがに営業に行くのにはちょっと派手すぎます。こっちも30歳を超えたこともあって、1988年カリーナEDに変えます。これもまあどちらかといえばスタイルを気に入ったかな、EDは確かExciting Dressyかなんかの略で、やはりスタイリングが売りだったのです。それに一応セダンですから営業用にもそれほどおかしくない。結婚前のデート車はこれでしたね。
やがて結婚して子供が生まれて、日産車に回帰します。カリーナEDはどうもメカニズムが弱かったのか故障が多く、また会社は日産車が多かったので、日産車から選ぶことになりました。選んだのがプリメーラ。このころ家内はマーチを乗るようになっていて、あまりでかい車ではガレージに2台はいらないということもあり、小型車としました。それと私の憧れは欧州車でしたが、当時のプリメーラはヨーロピアンテイストを売りにしていたのです。1994年でした。
その後、こどもたちも幼稚園、小学校とあがり、頻繁に家族でドライブ旅行に出るようになると、ワゴン車がやはり重宝だということになり、プリメーラワゴンを2台に渡って使うことになります。1999-2011。子供たちに童謡のテープを聞かせながら、田舎道を走ったのが思い出です。また、まだカーナビが発達していなかったので、家内のナビ(うちではママナビと言ってました)で、渋滞を避けて府道や県道、それに広域農道なんかを選んで走ったものです。時には、間違えて農家の庭先にはいってしまったこともありますが、それもいい思い出。
プリメーラワゴンは本当に気に入ってたのですが、残念ながらプリメーラシリーズは製造中止になってしまいました。そこで、2011年に選んだのが、3列座席、スライドドアというラフェスタです。子供が大きくなったこともあり、ゆったりすわるためということもありますが、このころから親の世代の介護という問題がでてきて老人を乗せるのに優しいということでこれになりました。
そして2019年。このサイトで紹介している通り、リーフにいたるわけですね。